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大森園のご挨拶・あゆみ・

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【園のあゆみ】

☞ご挨拶☜

大森園は長野県の東端浅間山麓の小諸市にあります。
この地域は清らかな水と空気があり、晴天が多く、朝晩涼しい高原特有の気候のため、糖度の高い果物が育つと言われています。

大森園の創業は明治時代後期から農業農家ですが観光農業に切り替えて50年以上を過ぎ去りました、家族経営の果樹園です。

ふじ、シナノスイート、秋映など約15種のりんご、約10種の桃、プルーンなどを生産と販売をしています。
園主は先々代から続く農場で、後継者3代目として加わった昭和34年から有機栽培にこだわっています。丁寧に施した土壌はミミズが繁殖するほどに肥えており、毎年甘味み多いりんごや桃が豊かに実ります。

農薬散布は果樹園には欠かせない作業です、経費がかかります、減農薬を挑戦しないと経営困難な時代になりました。

これまでに真摯に果樹栽培に取り組み、丹精込めて育ててきました。りんごや桃などの果物をはじめ、大森園特製のジュースやジャムの加工品など、これからも多くの皆様に召し上がっていただければ、これに勝る喜びはありません。

時期後継者も養成中ですが、いまだに引き渡せない段階です。

昨今の農業経営は生活に苦しむほどに儲からなくなってしまいました、なにとぞこれら状況をお含みの段、をお願い致しまして、大森園にご来店お待ち致します。

◎.観光農業で創業50年を経過しました。
◇.現在..生産と販売で奮闘、貧乏暇なし農場。

◇.8.生産農地の面積
    
     イ蠅鵑粥◆200アール
    ◆ヅ蹇  ◆200アール
    .プルーン、20 アール
    ぁゥ廛襦璽戰蝓次。機.◆璽
    ァゲ湛食品、(自家生産物の六次産業化)
      りんごジュース、桃のジュース、ジャムはりんご、桃、プルーン
◇.7.昭和50年母がお店役に選任、家内との生まれた2人の子供  たちを見ながら。
◇.6.昭和48年パソコンの導入、パソコン簿記の時代となる。
  イ.昭和50年大型防除機が三輪車型に変身、小組合に10年間    の組合防除が安定する。
  ロ.ふじりんごにつがるりんごが加わり最盛期。
  ハ.桃の新種が出回り、他人様の畑を借りることに成功。

◇.5.昭和43年、ふじりんご苗木変植が完成。

 イ.小諸市の観光協会、りんごの組合にも加入、関東方面へのキャンペーン、かなりの高収入時代に突入。

◇4.
  イ.昭和41年より共同防除組合に参加、巨大な農薬散布機スピードスプレーヤのオペレーター大型車両の時代に突入。
小型トラクターもすでに導入。

  ロ.小型トラック、軽トラックを購入。りんご狩りのお客様は高度成長期に在りがたいお得意様に変身。

◇3.
  イ.昭和38年園主が嫁をめとり、23歳頃に新種のふじを更新現  状にある国光種に高接ぎ木方式で当座をしのぎ苗木の試売品が  出回るのを待つことに。

◇2.
   昭和36年頃、自立販売方式を父母に納得させて、生産物の直   接販売となる。
  イ.この頃まで仲買業者に売り渡す、りんご品種紅玉と国光で  あり桃の品種が大久保が最盛期であった。
  ロ.まもなく、品種のふじとなる情報が出回る。

◇1.昭和34年、現在の園主(代表社員)章生が農業高校を卒業して、先々代が切り開いた農業を先代の父母の後継者となる。

イ. エンジン付きの農業機械、ガーデントラクターが出回り、   テイラートレーラーが珍しい時代。
 ロ.先々代が武士の頃、廃藩地圏により現在の地区(当時は
 南大井村和田)小諸市和田で水稲と果樹を耕作、地の利の良
   い国道141号線のある場所としての農地は畑地150董⊃綸50  胴椋鄰罎任△辰拭
 ハ.水田は浅間山の火山灰からなる湿田地帯で在った。

◇農業の初期(園主の子供の頃)
  イ.家畜→乳牛、2等 赤牛1頭、山羊2頭、、、兄弟は4人・女  子のなかで男子1人祖父に可愛がられ、家畜の世話に皮いられる。
  ロ.畑の草刈は子供たちの役割であった。
    季節雇用人の労働力で果樹管理が行われていた。

◇現代の進行
1.農薬散布→スピードスプレ−ヤ−
2.耕起作業→農業トラクター
3.肥料散布→マニュアスプレッター
4.パソコン、インターネット

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(^_^) 売れてます!m(_ _)m